#8部 — 自分を、どう生きるか

その楽しさは、本当に自分のものか

2026-03-20

前回、「楽しい」は生き方の基準になっていい、と書きました。 でも、ここで一つ注意が必要です。

楽しいことが大事だとしても、 何を楽しいと感じるかまで、外側に握られてしまったら危ない ということです。

今の時代は、気を紛らわせるものに困りません。 少し退屈すれば、次の動画が流れてくる。 少し不安になれば、気持ちに合った言葉が返ってくる。 少し沈めば、ちょうど埋まる刺激が差し出される。 AIが入るほど、これはもっと自然になります。 その人が離れにくいもの。 その人が心地よいと思いやすいもの。 その人が考えなくても済むもの。 そういうものが、かなり上手に差し出されるようになる。 それ自体が悪いわけではありません。 助かることもある。 救われる夜もある。 ただ、そこで一つだけ気をつけないといけない。 気がまぎれることと、満たされることは同じではない。 ここを混ぜると、人生が少しずつ他人のものになります。 その時間は楽しかった。 でも、あとに何が残ったのか。 自分は少し落ち着いたのか。 少し生きやすくなったのか。 それとも、ただ時間だけが消えたのか。 この判定は簡単ではありません。

逃避しているときも、人は「楽しい」と感じることがある。 逆に、本当に好きな時間なのに、罪悪感が出ることもある。 だから、その場ですぐ見分けるのは難しい。 でも、それでも見ないといけない。 なぜなら、これからは「楽しさ」まで自動で供給される時代だからです。 だから大事なのは、 楽しさを疑うことではありません。 その楽しさが、自分の人生につながっているかを、ときどき確かめることです。

ただ埋まればいいのか。 それとも、自分で「これでよかった」と思える時間がほしいのか。 この違いは小さくない。 楽しいことを生き方の基準にしていい。 でも、その楽しさを誰かに設計されっぱなしにしないこと。 そこを手放すと、気分は満たされても、人生は空いていく。

AI時代に必要なのは、 正しい楽しさを選ぶことではない。 自分にとっての楽しさを、自分で感じ分けることだと思います。