前回、自分の言葉で伝えることには意味がある、と書きました。 その続きを考えるなら、今日は逆側のことも見ておいたほうがいい。
人はいつも、ちゃんと言葉にできるわけではありません。 何がつらいのか分からない。 何に引っかかっているのか、自分でもはっきりしない。 話したいのに、うまく話せない。 そういうことは、かなり多い。
だから、関係にとって大事なのは、うまく伝えることだけではないのだと思います。 まだ言葉になっていないまま、一緒にいられることにも意味がある。
たとえば、何かあった日の帰り道。 話したほうがいい気もする。 でも、まだうまく言えない。 そんなとき、無理に聞き出されるわけでもなく、 だからといって放っておかれるわけでもなく、 ただ隣にいてもらえるだけで少し楽になることがある。 あれは、何かが解決したわけではない。 でも、確かに支えられている。
ここで起きているのは、理解というより、同席に近いものです。 「分かったよ」と言われたわけではない。 正しい返事をもらったわけでもない。 それでも、一人で抱えなくていい感じが生まれる。 その感じは、人間関係の中でかなり大きい。
今の時代は、言葉にすることがとても上手くなっています。 整理すること。 説明すること。 気持ちを翻訳すること。 それらは前よりずっとやりやすい。 AIが入ると、なおさらです。
それは助かることです。 でも同時に、何でも言葉にできるようになるほど、 言葉にならない時間の価値は見えにくくなる。
人は、ときどきまだ分からないまま誰かのそばにいたい。 まだ説明できないまま、それでも一緒にいてほしい。 そういう時間がある。 そこでは、きれいな言葉より、急かされないことのほうが大事だったりする。
もちろん、ずっと何も言わなくていいわけではありません。 言葉が要る場面はある。 でも、関係は言葉だけでできているわけでもない。 むしろ、言葉になる前の時間を一緒に過ごせるかどうかで、関係の質が見えることもある。
うまく伝えられること。 それは大事です。 でも、うまく伝えられないままでも、一緒にいられること。 その価値も、同じくらい大きいのだと思います。
誰かと生きるとは、何でも話せることだけではないのかもしれません。 まだ話せないことがあるままでも、すぐに切れずにいられること。 その時間を持てる関係は、思っているよりずっと強いのだと思います。