ここまで、自分の感覚を取り戻すことや、自分に合うものを少しずつ知っていくことについて書いてきました。 でも、そこで一つ大事なことがあります。 自分の感覚は、自分の中だけで育つわけではない、ということです。
一人でいる時間は大切です。 余計な声が減ると、自分が何に疲れていたのか、何に気持ちが向いているのかが見えやすくなる。 それはたしかです。 ただ、それだけでは分からないこともある。
誰といると、なぜか安心する。 逆に、何も悪いことを言われていないのに、なぜか少し削られる。 ある人と話していると、自分でも気づいていなかった考えが出てくる。 別の人といると、ずっと少し演じている感じがする。 こういうことは、一人で考えているだけでは見えにくい。
人は、他者とのやり取りの中で、自分の感覚を知ることがあります。 この人の前だと、言葉が出やすい。 この場にいると、変に力が入る。 この会話のあと、自分は軽い。 この時間のあと、自分は少し疲れている。 そういう小さな違いが積み重なって、自分が何に楽さを感じ、何に無理を感じるのかが分かってくる。
だから、自分らしさは内省だけで見つかるものではないのだと思います。 一人で考える中でも見えてくるし、関わる中でも見えてくる。 どちらか片方では足りない。
AI時代になるほど、このことはむしろ大切になるのかもしれません。 一人でも調べられる。 一人でも考えを進められる。 一人でもかなり多くのことができる。 それは自由ですし、助かることも多い。 でもその自由の中で、人と関わることでしか気づけない自分まで減ってしまうとしたら、少し惜しい。
ここで言いたいのは、人とたくさん会えばいい、という話ではありません。 無理に社交的であるべきだ、という話でもない。 大事なのは、自分をよく見せるための関係ではなく、自分が少し見えてくる関係があるかどうかです。
評価される場所。 役割を果たす場所。 それも社会には要る。 でもそれとは別に、話しているうちに自分の本音が少し出てくる相手、余計な力が抜ける相手がいると、人は自分の感覚を保ちやすい。
自分らしさは、どこかに完成した形で置かれているものではありません。 一人でいる時間の中でも育つし、誰かとのやり取りの中でも見えてくる。 その往復の中で、少しずつ「自分はこうなんだな」が分かってくる。
だから、人と関わることの価値は、孤独を埋めることだけではないのだと思います。 それは、自分が自分である感じを、少し確かめることでもある。