前回、暇はただ埋めるものではなく、自分の感覚が戻ってくるための余白かもしれない、と書きました。 今日は、その続きを考えたいと思います。
AI時代になるほど、私たちは前より上手に選べるようになります。 おすすめが出る。 人気の順がわかる。 失敗しにくい候補が並ぶ。 迷う前に、だいたい良さそうな答えが差し出される。
これはかなり便利です。 でも、ここに一つ落とし穴がある。
「良いもの」は見つけやすくなるのに、 「自分に合うもの」は、逆にわかりにくくなることがある。
たとえば、おすすめされた店に行く。 雰囲気もいい。 味も悪くない。 失敗ではない。 でも、なぜか何も残らない夜がある。
逆に、自分で少し迷って選んだ場所に行く。 特別すごいわけではない。 でも帰り道に、 「ああ、今日はこれでよかったな」 と思うことがある。
この違いは小さく見えて、かなり大きい。 前者は、うまく選べたのかもしれない。 でも後者には、自分で選んだ感じがある。 そして人は、その感じがあるときに、自分の人生を少し自分のものとして受け取りやすい。
だから感覚を戻す方法は、正解を増やすことではない。 むしろ、選んだあとに残る小さな違和感や安堵を、雑に流さないことだと思います。
この予定のあと、自分は軽くなったか。 この会話のあと、少し楽だったか。 この選び方は、うまくいっただけなのか、それとも自分に合っていたのか。
感覚は、派手に戻ってくるわけではありません。 「これだ」と大きく確信することも少ない。 むしろ、ちょっとした引っかかりや、逆にちょっとした安心として現れる。 そこを見ないまま、次のおすすめ、次の予定、次の正解へ進んでいくと、自分の感覚はまた薄くなる。
AI時代に必要なのは、AIを使わないことではない。 おすすめを拒むことでもない。 そうではなく、便利さの中で、自分の感じ方まで外注しないことです。
感覚は、最初から完成しているものではありません。 戻していくものでもあり、同時に育っていくものでもある。 自分で選ぶ。 選んだあとを感じる。 その繰り返しの中で、少しずつ確かになっていく。
自分の感覚は、どこかにしまわれている本音ではないのだと思います。 日々の選び方の中で、少しずつ作られていくものです。 だからこそ、戻すことと育てることは、たぶん同じことなのです。