#5部 — 自分を、どう生きるか

なぜ人は、役に立っていないと不安になるのか

2026-03-17

何もしていないと、少し落ち着かない。 誰の役にも立っていない気がすると、どこか後ろめたい。 この感覚を持っている人は、かなり多いと思います。

休んでいても、 「この時間で何かできたのでは」 と思ってしまう。 ただぼんやりしているだけで、少し罪悪感が出る。 役に立っていない自分は、薄い。 そんな感じさえすることがある。

でも、よく考えると少し不思議です。 なぜ私たちは、そこまで「役に立つこと」に自分の価値を預けてしまうのか。

たぶんそれは、長いあいだ社会が 「役に立つ人ほど価値がある」 という前提で回ってきたからです。 仕事ができる。 成果を出す。 人に必要とされる。 そういうことが、そのまま存在の重さのように扱われてきた。

だから役に立っているあいだは安心しやすい。 けれど逆に言うと、その安心は少し不安定です。 役割が減る。 成果が出ない。 必要とされている感じが薄れる。 その瞬間に、自分まで薄くなったように感じてしまうからです。

AI時代になると、この感覚はもっと揺さぶられます。 いろんなことが、前より速く、きれいに進むようになる。 その中で人は、 「自分が役に立っているか」 を前より気にしやすくなるかもしれない。

でも、ここで一度立ち止まったほうがいい。 役に立つことは大切です。 ただ、それがそのまま人間の価値なのかというと、少し違う。

たとえば、誰かと一緒にいて落ち着く時間。 何も生産していないのに、妙に満たされる夜。 ただ散歩しているだけなのに、自分が少し戻ってくる感じ。 そういう時間に、役立ちの尺度はほとんどありません。 でも、人生の充実はむしろそういうところに宿っていたりする。

人は、役に立つためだけに生きているわけではない。 役に立つことがあるのはいい。 でも、役に立っていない時間にも、ちゃんと意味がある。 その感覚を持てないと、人生はずっと仕事の延長のようになってしまう。

大事なのは、 役に立つことをやめることではなく、 役に立っていない自分まで否定しないことだと思います。

何もしていない時間。 誰にも見せない時間。 成果にならない時間。 そこにいられることもまた、 人が人として落ち着いて生きるためには必要です。

役に立っていないと不安になる。 その感覚は、個人の弱さというより、 そう感じるように作られてきた時代の空気なのだと思います。

だからこそ、少しずつ外していっていい。 役に立つかどうかの前に、 自分がちゃんと生きているか。 今日はしっかり楽しんだか。 そのほうを、これからは大事にしていいのだと思います。